吸血鬼の正体

 で、結局、『吸血鬼』とか『甦った死者』とかいわれている怪物の正体は何なのであろうか?

 中世においては、伝染病の原因を吸血鬼に帰すことが多かった。現実に中世のヨーロッパでは、病気を運んでくるのは吸血鬼の仕業であり、彼が病気をうつした人もまた吸血鬼になると考えられていた。その場合はつまり一番最初に病気に罹った人が犯人とされ、彼の墓を暴いて串刺しにすれば伝染病はやむという発想へとつながったのである。また、死者を復活させ、吸血鬼にしてしまうのは悪魔の所業であるとするのは、いかにも昔の教会の考えそうなことである。

 もっと近代に近くなると、「なんらかの理由があって屍体がなかなか腐敗しない」という説明が出てくる。東方正教においては破門された人の屍体は腐敗しないと考えられるので、腐敗しない屍体とはつまり死後も魂の平安を得ない人のことなのである。バルカンの各地には、人が亡くなって何年かたったら墓を掘り返し、白骨になっていたらそれでよし、腐敗していなければ吸血鬼になったと考える「再埋葬」の習俗が存在する。例えばブルガリアでは、死者の魂は40日間地上を彷徨い、身体が腐敗していればそのまま飛び去ると考えられている。

 次に、もっと科学的な分析。ギリシアのサントリーニ島は「世界で最も吸血鬼に汚染された場所」といわれてきたが、これは実は、この島は無菌性の土壌を持つことから屍体が腐敗しにくく、従って吸血鬼もたくさんいるという事情があった。かような「合理的な事情によって腐敗しない」という説明は18世紀の学者がすでに到達している。

 これと並んで、土葬を主な埋葬方法とする地域に当然おこりうる恐怖として、柩の中で息を吹き返す「早すぎた埋葬」というのも考えられる。再葬の際に、屍体が柩の内側を引っ掻いたりした跡が発見されたりする。さらにその屍体が腐敗していなければ、これは吸血鬼と誤解されかねない。(西欧でも昔は生死の判定があやふやだったりしたからこの「早すぎた埋葬」への恐怖は大変なもので、屍体は腐敗しだすまで納棺すべきでないとか、柩には毒薬の瓶をいれて「甦った死者」が苦しまずにまた死ねるようにすべき、とか色々いわれていた)

 また、もっと現実的というか馬鹿馬鹿しい理由もある。屍体が盗まれて空っぽになった墓を見て、甦ったと勘違いするのがそれである。掘り出した屍体は医学校の解剖用に売り買いされたのであり、17〜19世紀は屍体盗掘の全盛期で、専門の「盗掘屋」が成り立つほどぼろい商売であったという。もちろん屍体は高くついたので、貧乏な医学生の中には自分で墓場を掘り返したり、酷いのになると、墓場の見張りが厳重なのでかわりに人を殺して屍体をつくってしまう悪人までいたという。また、もっときわどい話として、死んだばかりの屍体を性的欲求を満たすために盗み出す異常者というのもよく聞かれるが、しかしこれらは東欧の吸血鬼伝説とはあまり関係ありません。

 ただ、ここで述べているのはあくまで「甦った死者」のことである。これに加わる「吸血」という行為はスラヴ民族の土着のものではなく、他からの借用であるとの説もある(スラヴ吸血鬼伝説考)。たしかに、「甦った死者」であるから血を吸うと決っている訳ではなく、逆に全ての「吸血鬼」に共通する特徴は「甦った死者」であるという一点のみであり(吸血鬼伝承)、東欧諸言語で吸血鬼をあらわす「vukodlak」とか「strigoi」とかいう語は、本来別の怪物を意味していたのが、後になって「吸血鬼」という意味に転換されたと考えられている(前掲書)。もっとも、そこでいう「別の怪物」が「甦った死者」であるとは限らず、例えば「vukodlak」は本来「人狼」のことであり、生きている人間が呪術等で狼に変身した怪物である。これは古代ギリシアの歴史家ヘロドトスも報告している(スラヴ吸血鬼伝説考)、極めて古くから伝わる伝説で、ユーゴスラヴィア等では吸血鬼伝説と一緒くたになり、吸血鬼が動物に変身するとかいう話のもととなっている。

 そもそも、死者の魂が何故もとの身体に戻ってきてしまうのか? 本来、屍体とは完全な死ではなく、一時的に眠っているのと同じものであると考えられていた、かような伝統がキリスト教会の否定にもかかわらず生き残ってきた(吸血鬼伝説)。その一方で東方正教会では教会の禁制をおかした者(自殺者や犯罪者、私生児も含む)は死後天国に入れないとされるため、かような教会の見解もまた「甦った死者」の形成に一役かったと考えられている。そもそも、例えばギリシアでは神話時代から死者が血を飲むことによって生き返るとの伝説があり、(カトリックとくらべれば)異教的伝統に寛大というギリシア正教会のもとで、焼いて灰にするとか大蒜で防ぐとかいうあまりキリスト教的でない退治法と一緒に、「血を求めて彷徨う死者」つまり「吸血鬼」が伝えられてきたとも考えられる(ドラキュラ学入門)。先に述べた「吸血行為はスラブ土着のものではない」説が事実だとすると、その起源はギリシアであるとも考えられ註1、それとは別にキリスト教の「血=生命の水」という発想も絡んできたとも考えられる。だが別の説では、ギリシア人の間での「甦った死者」は実は16世紀くらいまでは無害な存在だったのが、それ以降に凶悪な性質を獲得していったともいわれ、スラヴ人の伝説にある人狼が死後に甦って吸血鬼化するとかいう話が広まったのは17世紀末頃であったとされている(吸血鬼伝説)。

 註1 スラヴ人の多くが信じる東方正教はもともとギリシアが本場である。


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